2013年12月19日木曜日

街のイタリア酒場

いまデルソル高円寺店に来ています。イタリア酒場、美味しい海鮮オーブン焼きとワインを飲んでいます。
昼はデルソル中野店でランチパスタを戴きました。
今日、中野ビール工房(仮称)の出店が決まりました。
はやく仲間と祝杯をあげたいところですが、みんな仕事中なので、一人お先に乾杯させていただいております。

中野への出店をデルソルの坂木オーナーにお知らせに来ました。

ぼくはデルソルから大きな勇気をもらいました。

デルソルとの出会いは、20歳になったばかりの頃。中野北口の安アパートに住んでいた僕は、大学を中退し、丸井中野本店で生活資金を稼いでいました。

その頃、ぼくは外食(とくに飲み場)を信用していませんでした。
四谷ではなけなしの千円持って居酒屋、ビール2杯とつまみ頼んで勘定すると千円オーバー、説明のなかった席料を取られていた。
新宿では宴会幹事を任され選んだ店が態度悪い料理まずい酒だけは時間キッチリ。高田馬場でも。

いまは仕事で関わる中では理解できるようになりましたが、当時はだまされたというか、とてもがっかりの連続でした。

なので、もっぱら安くて量がありそこそこ旨い学食や社食ばかり利用していました。丸井の社食では、おかわり無料だったので、1日の栄養をぜんぶそこで摂取してましたよ。。

デルソルは、丸井中野本店のベテランパートさん・生まれも育ちも江古田・が教えてくれた店でした。「北口わしやを入った先の右側2階に。スパゲティの美味しい店があるよ。ボリュームあるから私いつもお腹いっぱいになっちゃう。能村くん行ってみたら?」

そして、たぶん自分で稼ぐようになってからの、初めての感動体験となりました。
おなかいっぱい美味いスパゲティを食べました。とっても満足できました。

そんな二十歳の原体験はたぶん今も心の青空として僕の中に広がっています。

それがデルソルとの最初の出会い。何度も通いました。

そのご就職し阿佐谷に越ししばらく忘れていました。

それから高円寺麦酒工房を始めました。
高円寺の街にもデルソルをみつけましたが、中野のデルソルだとはしばらく気づきませんでした。それほど街の一部になっていました。

決してチェーン店ではありません。
個店がとなり町にもある、ということです。

そして私が2号店に挑戦しようというとき。私はとなり町に出したかった。しかし多くの知識ある知人が、反対しました。自社内競合がおきる。もっと成功できる街があると。

それでも私はとなり町・阿佐谷に決めました。これだけ反対され不安でした。けれどデルソルの存在が私に勇気を与えてくれました。勇気と不安と、私の心がものすごく小競り合い、最終的に勇気が少しだけ勝ったため、阿佐谷に決めました。

それが良かったのか悪かったのか
その後3号店はさらにとなり町の荻窪へ。4号店は右隣の中野へ。

街のビール屋さんが、となり町同士で共存できないようでは、ましてや、日本中に街のビール屋さんが広まることなどありえません。

ありがとうございます。
ぼくはデルソルに出会えてよかった。

2013年10月29日火曜日

秋深し 想うこと

能村です。
まもなく11月になります。

 ☆ ☆ ☆
10月最後の大仕事は
年に一度、連日に渡る税務署の方とのカンヅメの日々です。
お酒を造るという生業は、酒税もきちんと納めなければなりません。

そして10月最終日、岡山の師匠が訪ねてきてくださいます。
お忙しい中、大阪出張のついでに(!)わざわざ東京まで、お越しくださいます。
しっかり感謝の表現とおもてなしできたならと思います。

 ☆ ☆ ☆
この数ヶ月を振り返ると

荻窪ビール工房に着手したのが5月
それから丸4ヶ月は店造り
無事オープン後は、会うべき人に逢ったり、尋ねるべき所を訪れたり、
この半年間、いや1年近くで、やりたくても見送ってたことを
みんな済ませました。
増える一方だったTodoリストが≒0になり、
事務所のデスクトップも日に日に書類が減って気持ちいい。

ふと想い起せば

以前にもこの季節に、人生の転機があった
勤めを辞めるに決意する出来事があったのはちょうど今から5年前のこの季節だった
27の秋でした 結婚して1年経たず

それから自分探しの旅へ

そしてビールとの出会い
28の秋でしたやはり秋。

僕は秋は好きではない。
秋は立ち止まって振り返る季節
やってくる冬を前に 覚悟を決める季節
その先に来るはずの春など想いめぐらず

 ☆ ☆ ☆
手帖を開きます。
10月のギッシリと対照的に、11月は白い。

月初会議の夜、夜行列車の旅にでてまいります。
(といっても翌日には帰ってきますが)
べつに出張ではありません。用事のない旅です。

けれども心が旅を求めています。

そして帰ったなら、
次なる挑戦が私を待っています。
店はいま3店舗。これまでのようにはゆきません。
私も社員もクルーも精進せねばなりません。
私が描く夢に共感して仲間に加わった者ばかり。
夢を語った責任があります。
3店舗で大変だなどと弱音を吐くわけにはなりません。
次なすべき事は判っています。
まい進するのみです。

感謝

日本酒をつくります。

 実に二年ぶりの筆を執ります。  新年度、新学期、新生活というのに、世の中は新型コロナウィルスcovid19が蔓延している。麦酒工房は本日より一部店舗で休業に入らせていただきました。街のビール屋さんとして、毎日のビールを提供できないことに大変申し訳なく思っています。ウィルス収束...